善行の陰と陽(表と裏)
良い人。
あの人は素晴らしい人だ。
などと、世の為、人の為と、奉仕に一生懸命のものが居ます。
その様に、一見、素晴らしい奉仕精神に満ちた人でも、陰と陽と必ず二極ある。
どんなに、奉仕精神に満ちた、一見素晴らしい行動力を持った方でも、愚痴を言いながらの奉仕や、陰で文句を言ったり、他人を批判したり、悪く言ったりする人の本質は、神から見たら悪になる。
人間の目には、良い人に写っても、
神からみたら、
全く善行にはならないのだ。
必ず、その内、本質的な尻尾を出す。
本当に霊格が高く謙虚な人間は、常に感謝の気持ちが態度に現れるものだ。
他人を悪く言わない。
感情的に出来るだけならない様に、自分自身を自制する。
どんな時に、その人の本質が出るのか❓
自分が一生懸命頑張って居る時に、頑張らない人を悪く言ってみたり、失敗をする人を責めてみたり、一生懸命やりながら、文句をブツブツいう。そして最もらしい事を他人に説明したがる。そんな事を呟いて言っている時だ。
この様な、細かな態度で、必ずその人の善行が本物か❓偽物か❓わかるのだ。
大切なのは、秘めた心の、感謝の想念と、下座の想念である。
利他愛と謙虚さである。
人の本質は、必ず言霊と態度に出るものだ。
自ら、苦労を経験し、感謝で困難を乗り越え、謙虚に自分自身の天命と向き合わなければ、大精神力は身につかない。
5年や10年で、悲鳴をあげ、困難から逃げ出そうとする者には、見えない世界がある。
一緒かかっても、困難と向き合い、天命と向き合う。
それでも、感謝の想念で乗り越え様とした時こそ、魂が鍛えられ、神に近づく一歩となろう。
1日で、どうこう出来るものではない。
毎日の修練の積み重ねでしかない。
誰に批判されても、動じず感謝。
たとえ誰にも批判されていなくとも、自分自身が己を否定していたら、神から観れば、これは批判を言っているのと同じである。
先ずは、己を愛し、許し、そして利他を愛し、許す。
自分自身を自己否定するのも、他人を批判するのも、同じだと多くの方に知ってもらいたい。
言論の自由だと、人を非難し、人の失敗を指摘し、粗探しをすり。
実に低次元な魂レベルの低い言動と行動になってしまう。
自己否定するものは、絶対に幸福感は得られない。
黙々と、誰に何と言われようが善行でもって生きられる人生であるべきだ。
また、笑顔とユーモアに溢れた幸福感に満ち溢れた人生であってほしい。
人生は修道だ。
今日も、己修道
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