思い込みの善は悪の場合もある
人は、其々価値観が違う。
もの事の解釈も違う。
では、何が善で、何が悪なのか❓
それを判断するのは、自分では無く他人であり、大衆である。
どんなに、自分は正しいと力んでみたところで、多くの人々や群衆が、迷惑したり、不快な思いをして居たら、自分が善だと思っている行動や態度は悪になる場合がある。
皆さんも、記憶にあるだろう・・・。
ひと昔前に、「オウム事件」と言うものがあった。
オウム真理教と言う宗教団体が、神の粛正と言う事で、教祖の命令でサリンを撒いて、俗に言うテロ行為をした。
しかも、信者の幹部は、意外にも良い大学を出た頭の良いエリートが多かった。
人の価値観の恐ろしい所は、自分が正しいと思い込み、人のアドバイスや意見に耳を貸さず、
自分は神の使いだと錯覚をして、多くの者達に迷惑を掛けてしまう事が現実に前の事例の様に存在すると言う現実だ。
多くの失敗者は、必ず自分だけは正しい。
私に限って間違いは無いと思い込んでいるところに間違いの共通点がある。
自分に対する、
苦情や批判が、事実であろうがなかろうが、一応は謙虚に自己を反省する必要がある。
「天地一切神の声」と受け止め、自己反省をすべきが、自分の理性や慎ましさを鍛える。
火のないところには煙は立たず
少なからず、自分に何か原因があったのだろうと、相手を許し、自己を反省する。
どちらが正しいか?などで議論や犯人探しの様な事はしない。
大切なのは、自己の魂の鍛えと、人を裁かず、自分の魂の成長に役立てて、感謝する事だ❗️
これらを、徹底して下座の想念で乗り越えられる本物の器の大きい人は少ない。
人の事はいい。
自分自身の魂を鍛えなさい。
先ずは、自分自身を許し、自分自身を心から愛しなさい。
先ずは、自分の家族や自分の側にいる人に感謝される人間になりなさい。
先ずは、足元から綺麗にしなさい。
先ずは、身近な人に感謝される人間になりなさい。
全ては、そこからです。
今日も、己修道
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